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大きな胸はどう呼ばれてきたか(中)――大きいおっぱい小さいおっぱい。揺れ動く世の中

大きな胸はどう呼ばれてきたか(中)――大きいおっぱい小さいおっぱい。揺れ動く世の中

アダルトメディア研究家・安田理央さんによる「大きな胸」をテーマにした連載二回目です。今回は、60~80年代に焦点を当て、「ボイン」「デカパイ」「Dカップ」といった大きな胸を指す言葉の変遷、その時々によって変わる「大きな胸」また「小さな胸」への評価について紹介します。

安田理央

安田理央

2017.7.29

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「大きな胸=ボイン」の時代

1965年11月から日本テレビ系列で放送された『11PM』は、日本で最初の深夜ワイドショー番組であり、大きな評判を呼びました。
その司会の一人である大橋巨泉が放送中に、アシスタントだった女優・朝丘雪路の胸を「ボインボインと出てるね」と言ったことから、大きな胸を「ボイン」と呼ぶことが流行しました。1967年のことです。

 

それまでに使われていた「肉体派」「グラマー」という表現は、体つき全体を指すことが多く、大きな乳房そのものを表現する日本の言葉は、この時初めて生まれたのです。
この年の年末には『漫画ボイン』なる漫画雑誌も創刊されましたし、2年後の1969年には漫談家の月亭可朝が『嘆きのボイン』というコミカルな曲を発表し、80万枚の大ヒットを記録しました。「ボイン」は子供たちの間でも使われるほど流行語となりました。

 

もともとは英語で「飛び出す」時や「跳ねる」時の擬音だった「ボイン」(boing、もしくはboing-boing)ですが、日本では大きな胸を表す言葉として定着したのです。

 
 
 

デカパイとペチャパイ

「ボイン」の次に、大きな胸を示す言葉として使われるようになった言葉は「デカパイ」です。

 

これは1970年代半ば頃から頻繁に使われるようになりました。
「デカパイ」に関しては、特に流行のきっかけとなった事象はなかったようですが、単純にデカいオッパイの略というわかりやすさがよかったのでしょう。70年代に入って少しづつ広まっていきました。
1977年には『Oh!刑事パイ』(作・望月三起也)なる漫画も登場するなど、一般的な言葉として浸透しています。
どこかコミカルな「ボイン」以上に、直接的な表現の「デカパイ」ですが、それはこの時期に「大きい胸」があまり好まれなかったという風潮があったからかもしれません。

 

逆に小さい胸のことは「ペチャパイ」と呼ばれました。ぺちゃんこなオッパイの略ですね。こちらも気にしている人にとってはコンプレックスを逆撫でするようなあんまりな呼び方ですね。しかし、時代は「ペチャパイ」の方へと流れていったのです。

 
 
 

大きな胸は時代遅れ?

日本では、戦後のグラマー時代から「女性の大きな胸は魅力的」だとされていたのですが、70年代に入ると風向きが変わってしまいます。小さい胸こそが現代的であり、大きな胸は時代遅れ、そんなムードが生まれていたのです。

 

これは世界的な傾向でした。60年代後半の欧米、特にイギリスではモノセックスなファッションが人気を集めました。その代表的な存在がファッションモデルのツイッギーです。ツイッギーとは小枝のこと。正に小枝のように、華奢でスレンダーな彼女が新しいファッションシンボルとなると、それまでのグラマラスなハリウッド女優は一気に時代遅れという印象になってしまったのです。
ツイッギーは1967年に来日も果たしており、彼女のトレードマークであるミニスカートは日本の女性の間に大ブームを巻き起しました。そしてミニスカートは、ほっそりしたスレンダーボディに似合ったのです。

 

この時期から、女性は痩せている方がかっこいいという風潮が生まれ、様々なダイエット方法が注目を集めるようになります。
さらに世界的に広がりを見せたウーマンリブ運動の影響もありました。ウーマンリブは男女平等を訴える女性解放運動ですが、その流れでノーブラ運動というムーブメントも巻き起こりました。女性の自由を圧迫する象徴としてブラジャーがやり玉にあげられ、ブラジャーを燃やすパフォーマンスが行われたりもしました。

 

ブラジャーがいらないような小さな胸こそが現代的である、そんな風潮が日本にも上陸し、ノーブラが流行したのです。

 
 

大きな胸がマイナスに

70年代にはアイドルという存在が生まれます。彼女たちはみんな華奢な少女体型でした。清楚であることを求められるアイドルは、胸が小さいことが必須でした。
グラマラスな体型でセックスアピールがあることは、アイドルにとってはマイナスだと思われていたのです。
実際は胸が大きかったアグネス・チャンが当時、サラシで締め付けて胸を小さく見せていたというエピソードがあったほどです。また1980年にデビューした河合奈保子も胸が大きいことで有名でしたが、公表されていたスリーサイズはB84・W60・H84と見た目よりもだいぶ低い数値となっていました。

 

また80年代に入ると、アダルトビデオ=AVが生まれ、AV女優が注目されるようになるのですが、セクシャルなイメージを売り物にしているはずの彼女たちでも、人気があるのはスレンダーなタイプばかりでした。
もちろん当時のAVでも胸の大きい子を扱った作品もあったのですが、そうした作品はマニア向けという扱いでした。

 

胸が大きい子に興奮するということが特殊である、そう思われていた時期があったのです。
70年代から80年代前半にかけては、胸の大きい女性、そして胸の大きい女性が好きな男性にとっては不幸な時代だったと言ってもよいでしょう。

 
 
 

Dカップの時代

ところが80年代後半になると、少しずつ大きな胸に注目が集まるようになります。この時期に大きい胸を表現する言葉として広まったのが「Dカップ」です。

 

胸の大きいAV女優は「Dカップ女優」「Dカップギャル」と呼ばれ、彼女たちが出演しているAVは「Dカップビデオ」と呼ばれました。
ヌードモデルの中村京子は、その豊満なバストを武器にアダルト雑誌やAVはもちろん、一般誌やテレビ番組にも出演し、吉本新喜劇にもレギュラー参加するほど大活躍していましたが、彼女のニックネームも「Dカップ京子」。彼女の活躍が「Dカップ」という言葉の普及に一役買っていたようです。そして彼女に続けとばかりにDカップ女優が次々と登場しました。

 

Dカップは、もちろんブラジャーのカップサイズのことで、現在の感覚でいうと「Dカップくらいで大きい?」と感じられるかもしれません。
当時は平均的に胸のサイズが小さかったので、Dカップでも十分大きいと思われた、ということもあるのですが、その頃のDカップ女優を見てみると、明らかにDカップ以上あるのです。中村京子もFカップはあると思われます。

 

これは、当時はブラジャーのサイズが、ほどんどDカップまでしかなかったことや、計測がいい加減だったこと、そしてこの言葉がアメリカからやってきたことが理由としてあげられます。

 

アメリカのポルノ業界でも胸が大きいことを「Dカップ」と呼んでいたのですが、向こうでは基準が日本と違っています。サイズが2〜3カップ分大きいのです。つまりアメリカのDカップは日本でいうFカップやGカップに相当するのですが、Dカップという言葉をそのまま輸入して使っていたために、こうしたズレが生じてしまったのです。

 

ともかく、このDカップブームによって、再び大きな胸が脚光を浴びるようになりました。60年代までのように、胸が大きいことは魅力的なのだという意識が広がっていったのです。

 
 
 

(安田理央)

 
 
 

【あわせてどうぞ】
大きな胸はどう呼ばれてきたか(上)――男はいつから巨乳が好きになったのか
大きな胸はどう呼ばれてきたか(下)――グラマーのグラマーによるグラマーのための新しい言葉の時代へ

 
 
 
 
 
 
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安田理央

安田理央

フリーライター、アダルトメディア研究家。1967年埼玉県生まれ。女性のような名前ですが男性です。申し訳ない。人間の三大欲求のうち睡眠欲以外のことについて書くことが多いです。著書に『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』(太田出版)など。
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