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大きな胸はどう呼ばれてきたか(上)――男はいつから巨乳が好きになったのか

大きな胸はどう呼ばれてきたか(上)――男はいつから巨乳が好きになったのか

「大きな胸=魅力的」とされる現代。長い日本の歴史の中で、人々はずっとそう思っていたのでしょうか。また、「大きな胸」を指す「巨乳」という言葉。これも古くからある言葉なのでしょうか。今回から三回の連載で、「大きな胸」を日本人はどう読んできたのか、そしてどう認識してきたのか、アダルトメディア研究家・安田理央さんが解き明かします。

安田理央

安田理央

2017.7.29

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男性は昔から大きな胸が好き、だと思われがちですが、実は日本の男性が大きな胸の魅力に気づいたのは、戦後になってからです。長い日本の歴史の中で、ほんの70年ほどのことに過ぎないのです。
また、現在は「大きな胸」を「巨乳」と呼ぶことが一般的ですが、これも時代によって大きく変化しています。そして、その呼び方の変遷を調べてみると、日本人の「大きな胸」に対する意識の移り変わりも見えてくるのです。
今回から三回に渡って日本では「大きな胸」はどう呼ばれてきたのか、そして「大きな胸」は人々にどう受け止められてきたのか、その歴史をたどってみましょう。
読み終わった時、あなたは「大きな胸」がより愛おしく感じられるようになるかもしれません。

 
 
 

江戸時代の男性は胸に興味がなかった!

浮世絵や春画などを見るとわかるのですが、そこでは乳房はあまり描かれていません。ご存知の通り、性器はあんなに克明に描かれているのに、上半身は着衣のままがほとんどで、たまに描かれていても、ずいぶん簡略化されています。

 

なぜなら江戸時代までの日本では、女性の乳房は性の対象ではなかったのです。

 

というよりも、女性の肉体自体がエロティックだとは思われていませんでした。服や髪型、仕草や言葉使いによって初めて性差が生まれ、そこにエロスを感じるという考え方だったのです。江戸時代の銭湯が混浴だったのは、そうした感覚があったからなのです。

 

女性の裸がエロティックであるというのは、開国によって西洋から輸入された概念でした。

 
 
 
 
 

女性の魅力にも「欧米化の波」が

さらに日本の男性が大きな胸に性的な魅力を感じるようになったのは、戦後に欧米の文化が押し寄せてからでした(実は欧米でも、1930年代くらいまでは胸よりも脚の方が、女性のセックスアピールポイントとしては重要だったのです)。

 

ハリウッド映画などのグラマラスな女優がスクリーンにも登場するようになると、日本の男性もその肉感的な肢体に夢中になっていきました。

 

当時は、そうした女優のことを「肉体女優」もしくは「肉体派女優」などと呼ぶことが多かったようです。
これは戦後初のベストセラーとなった田村泰次郎の『肉体の門』という小説が語源です。この小説は舞台や映画にもなり、大きなブームを巻き起しました。

 

この頃、肉体女優の代表とされたのが、ジェーン・ラッセルやシルヴァーナ・マンガーノ、ジーナ・ロロブリジーダ、ソフィア・ローレン、そしてマリリン・モンローです。

 

日本の女優では、京マチ子がその元祖的存在とされています。
ヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞した黒澤明監督の『羅生門』、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した溝口健二監督の『雨月物語』などに出演した世界的な女優ですが、身長160センチという当時の日本人女性としては大柄で豊満な体型を活かして『痴人の愛』(木村恵吾監督)などのセクシャルな作品でも活躍しました。

 

この他、日本で初めて映画で全裸を披露したことで知られる前田通子や、筑波久子、泉京子といった女優が「肉体女優」と呼ばれていました。彼女たちは身長165センチでスリーサイズがB96W56H100(泉京子)という、現在のグラビアアイドル顔負けのプロポーションでした。

 
 
 

「グラマー」という言葉の登場

1950年代後半から「肉体」に代わって使われるようになった言葉が「グラマー」です。
これは現在でも使われている表現で、肉感的で性的魅力のある女性のこと。ストレートに言ってしまえば「おっぱいとお尻が大きな美人」という感じでしょうか。

 

アメリカでは1920年代から使われている言葉ですが、そもそもは「魅力的」という意味で、必ずしも肉感的というわけではありませんでした。

 

日本でも使われ始めた頃は、長身であったり八頭身であったりという意味合いの方が強かったのです。

 

1953年に伊東絹子が第二回ミスユニバースに日本代表として出場し、第三位に入賞。そしてその6年後の1959年には、児島明子がミス・ユニバース優勝を果たします。彼女は身長168センチでB93W58H97という欧米美女にも負けないプロポーションの持ち主でした。正にグラマーそのものです。

 

しかし、そこまで身長が高くなくても、均整がとれた肉感的な女性も日本には多いはず、ということで生まれた言葉がトランジスタ・グラマーです。ちょうど高性能なトランジスタ・ラジオが普及していた時期でもあり、トランジスタ・グラマーは流行語になりました。

 

やがてトランジスタ・グラマーがそのままグラマーと呼ばれるようになっていました。グラマーから高身長という意味が消えてしまったのです。逆に高身長なグラマーは、大型グラマーなどと呼ばれました。

 

こうして「グラマー」は日本に定着したのですが、これは全体的に肉感的なボディを表現する言葉です。
大きな胸そのものを表す言葉は、日本には、まだ存在しませんでした。せいぜい「豊かな胸」「豊満な乳房」と言った表現くらいです。これは日本人がそこまで胸に大きな関心を持っていなかったことの証明だったと言えるかもしれません。

 
 

大きな胸そのものを表す言葉が日本に現れるのは、1967年まで待たなければならないのです。

 
 
 

(安田理央)

 
 
 

【あわせてどうぞ】
大きな胸はどう呼ばれてきたか(中)――大きいおっぱい小さいおっぱい。揺れ動く世の中
大きな胸はどう呼ばれてきたか(下)――グラマーのグラマーによるグラマーのための新しい言葉の時代へ

 
 
 
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安田理央

安田理央

フリーライター、アダルトメディア研究家。1967年埼玉県生まれ。女性のような名前ですが男性です。申し訳ない。人間の三大欲求のうち睡眠欲以外のことについて書くことが多いです。著書に『痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』(太田出版)など。
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